苦いコーヒー飲みほしたら





働くってほんとうに大変なことです。 

大人はみんな当たり前のように働いているけれど、その当たり前のことをまいにち続けることが、どれだけ大変なことなのか。わたしは社会人になってはじめて気づきました。 


わたしはつい最近まで、普通の大学生でした。 

いやもう最近じゃないのかもしれないけど、私にとってはたったのいちねんまえです。

でも、コロナの影響で、最後は授業もなくて教育実習準備もちゃんと出来なくて、実習もイレギュラー。わたしは先生になった訳じゃないけどそんな状況下で卒業して、「じゃあ来月から社会人だからね。頑張ってね。」と、送り出されたわけです。 

できる訳ないですよね。そもそも、コロナ禍じゃなくても、つい最近まで学生だった人間が、来月から急に社会に放り出されるなんて。たまったもんじゃないです。 


コロナ禍の大学生生活は、想像してた「華の大学生」じゃなかった。できないことの方が多かった。毎日が虚無の連続で、もう涙も枯れてしまっていた。テーマパークやイベントの規制が緩和されていくのも、この気持ちを経験していない大人たちに同情されるのも、全て辛かった。


「この状況を乗り越えたのだからきっとこれから先何があってもあなたたちは大丈夫」

もう何度も耳にした言葉。

 

そんなんじゃない。わたしが欲しいのは未来を生きてく強さじゃない。これから先のことなんてどうだっていい。欲しかったのは“今”しかできないこと。たったそれだけのことがなんでできなかったんだろう。

わたしたち、なにか悪いことしたかな。


4月、なにも分からないまま社会に放り出されたわたし。 

いつも心の支えだったアイドルに会うことも出来ず、何を糧に頑張ったらいいのか…と下を向いてばかりいました。 (あの頃コロナやばかったな…知念くんの初主演舞台半分以上潰したこと一生恨むならな…)


他人に迷惑かけないように、誰かに感謝されるように、そんな気遣いをしながら労働するのは、想像以上にメンタルを削られていきます・・ 

そんな小さな我慢を、いちねんめのひよっこの私は少しずつ溜め込んでしまっていました。 


なんかもう、つかれたなあ、と思っても、そんな時、すっとお布団に戻って休める程、社会は甘くありません。 


でも、やさしい上司に出会いました。とっても優しくてだいすきになりました。何も出来ずすぐ悲観的になるわたしを、自分の意見がなかなか言えないわたしを、見捨てることなく、そっと包み込んでくれました。その方は私に、会社で私が目指すべき道を示して下さいました。そしていつも寄り添ってくださる部の若手の先輩方。部に1人も同期は居ないけど、そんな素敵な方たちがいてくれるお陰で、なんとか立つことが出来ていた1年間。


わたしは、その人たちがいなくなったらどうなってしまうのでしょう。 

そんなことをぼーっと考えていると、不安で涙が出そうになるけども、

新体制になってだいすきな上司やお世話になった若手の先輩は異動してしまったけども、

周りの人のあたたかさに救われて、にねんめも頑張れる気がしています。

明日は11時〜 先輩2人と私で企画運営をしている、私の部に配属になる新入社員4人の歓迎ランチがあるので、その明るい話を後輩にしてあげられたらなと思ってます。

おしまい




☆追記

胸に秘めてたコロナへの思いや労働へのプレッシャーを頑張って言葉に出来たので、満足してます(笑)

書いてみて思ったのは、私はやっぱり、大学に行きたかったんだなぁって。学んでて楽しくて楽しくて仕方なかった教職は、3〜4年次が本格的になるからさ。

教職を学ぶことは、紛れもなく「今しか出来なかったこと」だと思うんだ。


今しか書けないことだなぁと思って、ここに残させていただきます。

社会人、大変だけど、とても楽しいよ、過去のわたしへ。

おしまい。